島ぐるみ闘争
プライス勧告が一括払いや土地の新規接収を再確認した内容であったことから、住民は調査団に期待していただけに強い衝撃を受け、その衝撃は激しい怒りとなって、後の島ぐるみ闘争に発展していった。
戦後10年間忍従を虐げられてきたが、勧告に端を発して一遍にセキを切って流れてきた抵抗の現われであった。
1956年6月20日には「一括払い反対」「四原則貫徹」のための第1回住民大会が全県各地で一斉に開かれた(約30万人が参加)。
引き続き、25日には第2回住民大会が那覇高校と諸見小学校のグランドで開かれ、どの会場も5万人以上で埋まった。
7月28日、四原則貫徹県民大会開催(於:那覇高校、15万人参加)。