歴史-基地問題の沿革
基地問題の歴史についての解説。
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平成27年(2015年)
- 2月27日:米軍施設「慶佐次通信所(東村)」全部返還
平成24年(2012年)
- 4月1日:「沖縄振興特別措置法」、「沖縄県における駐留軍用地跡地の有効かつ適正な利用の推進に関する特別措置法」(跡地利用特措法)が施行
- 5月15日:土地建物等賃貸借契約の再契約が施行
平成23年(2011年)
- 7月31日:米軍施設「ギンバル訓練場(金武町)」全部返還
- 11月13日:沖縄県軍用地等地主会連合会と沖縄県軍用地主政治連盟は、返還跡地対策への新法制定と賃貸料算定方法見直し等の実現を求め、「軍用地主総決起大会」を開催
平成22年(2010年)
- 12月20日:沖縄県軍用地等地主会連合会は防衛省の北澤防衛大臣を訪ね、駐留軍用地等跡地利用に関する新たな法律の制定について要請
- 12月24日:沖縄県軍用地等地主会連合会は県庁の仲井眞知事を訪ね、駐留軍用地等跡地利用に関する新たな法律の制定について要請
平成19年(2007年)
- 8月29日:駐留軍等の再編の円滑な実施に関する特別措置法(米軍再編特措法)が施行
平成18年(2006年)
- 5月1日:日米安全保障協議委員会、在日米軍再編最終報告を承認
- 9月30日:米軍施設「瀬名波通信施設(ボロー・ポイント射撃場)(読谷村)」全部返還
- 12月31日:米軍施設「楚辺通信所(読谷村)」「読谷補助飛行場(読谷村)」全部返還
平成17年(2005年)
- 10月29日:日米安全保障協議委員会、在日米軍再編協議の中間報告を承認
平成16年(2004年)
- 8月13日:沖縄国際大学の本館に米軍ヘリが墜落・炎上
- 9月12日:事故現場の沖縄国際大学で抗議集会が行なわれ、主催者発表で3万人が参加
平成15年(2003年)
- 11月28日:沖縄県軍用地等地主会連合会は「土地連創立50周年記念式典・祝賀会」を開催
平成14年(2002年)
- 4月1日:沖縄振興特別措置法(沖振法)が施行
- 9月30日:米軍施設「工兵隊事務所(浦添市)」全部返還
平成13年(2001年)
- 4月10日:沖縄県軍用地等地主会連合会は防衛施設庁に伊藤長官らを訪ね、駐留軍用地の返還等に伴う特別措置に関する8項目を要請
平成12年(2000年)
- 10月17日:沖縄県軍用地等地主会連合会と北谷町軍用地主会は、防衛庁、防衛施設庁を訪ね、軍転特措法の改正やキャンプ桑江内の返還実施計画の変更について要請
平成10年(1998年)
- 12月22日:米軍施設「安波訓練場(国頭村)」全部返還
平成8年(1996年)
- 1月5日:村山首相が退陣を表明
1月11日:橋本新内閣が発足
3月19日:那覇防衛施設局は、「平成7年11月30日に返還された恩納通信所跡地の汚水処理槽内や汚泥から、PCBやカドミウムなどの有害物質が検出された」と発表
12月2日:日米両国政府は外務省で日米安全保障協議委員会(2プラス2)を開き、沖縄に関する特別行動委員会(SACO)の最終報告を承認
- 12月31日:米軍施設「知花サイト(恩納村、読谷村、沖縄市)」全部返還
平成7年(1995年)
- 1月17日:阪神・淡路大地震発生(在沖米海兵隊も、日本政府の要請により災害救援のため出動)
- 5月19日:「沖縄における駐留軍用地の返還に伴う特別措置に関する法律」(軍転法)案が参院本会議で可決、成立
- 6月20日:「沖縄における駐留軍用地の返還に伴う特別措置に関する法律」(軍転法)が施行
- 8月31日:米軍施設「那覇サービス・センター(那覇市)」全部返還
- 9月4日:本島北部で米兵による少女暴行事件が発生
- 9月27日:日米安全保障協議委員会(2プラス2)がニューヨーク市内で開かれ、在日米軍駐留経費負担に関する新特別協定が締結されるとともに、県道104号線越え実弾砲撃演習を複数の演習場に分散実施する方向で技術的、専門的な検討を行うことで合意
- 10月21日:宜野湾海浜公園で復帰後最大規模の県民総決起大会が開かれ、約85,000人が結集
- 11月19日:日米間の新たな協議機関「沖縄における施設及び区域に関する特別行動委員会(SACO)」が設置
- 11月20日:「沖縄における施設及び区域に関する特別行動委員会(SACO)」の第一回会合が開催
- 11月30日:米軍施設「恩納通信所(恩納村)」全部返還
平成5年(1993年)
- 3月31日:米軍施設「牧港補給地区補助施設(浦添市)」全部返還
- 6月30日:米軍施設「砂辺倉庫(北谷町)」全部返還
平成3年(1991年)
- 4月24日:野党各党・各派は「軍転特措法案」を国会に共同提出
11月27日:知事は「沖縄県における駐留軍用地跡地の利用促進に関する特別措置法要綱案」の制定について、防衛庁ほか関係省庁に要請
昭和62年(1987年)
- 5月31日:米軍施設「牧港住宅地区(那覇市)」全部返還
昭和61年(1986年)
- 10月31日:米軍施設「那覇空軍・海軍補助施設(那覇市、豊見城村)」全部返還
昭和58年(1983年)
- 6月30日:米軍施設「天願通信所(うるま市)」全部返還
昭和56年(1981年)
- 3月31日:米軍施設「久場崎学校地区(中城村)」全部返還
昭和54年(1979年)
- 6月30日:米軍施設「伊波城観光ホテル(うるま市)」全部返還
- 8月31日:米軍施設「屋嘉レスト・センター(金武町)」全部返還
昭和52年(1977年)
- 3月31日:米軍施設「南部弾薬庫(糸満市、八重瀬町)」全部返還
- 4月30日:米軍施設「砂辺陸軍補助施設(北谷町)」全部返還
- 5月14日:米軍施設「キャンプ・ヘーグ(沖縄市、うるま市)」全部返還
- 5月18日:「沖縄県の区域内における位置境界不明地域内の各筆の土地の位置境界の明確化等に関する特別措置法」(地籍明確化法)施行
- 11月30日:米軍施設「嘉手納住宅地区(読谷村)」全部返還
昭和51年(1976年)
- 3月31日:米軍施設「瑞慶覧通信所(北谷町、沖縄市)」「キャンプ・マーシー(宜野湾市)」全部返還
- 6月30日:米軍施設「与座岳航空通信施設(糸満市、八重瀬町)」全部返還
- 9月30日:米軍施設「カシジ陸軍補助施設(北谷町)」全部返還
昭和50年(1975年)
- 1月31日:米軍施設「浦添倉庫(浦添市)」全部返還
- 3月31日:米軍施設「キャンプ・ハーディ(宜野座村)」全部返還
- 6月27日:米軍施設「那覇海軍航空施設(那覇市)」全部返還
- 6月30日:米軍施設「恩納サイト(恩納村、金武町)」全部返還
昭和49年(1974年)
- 1月9日:米軍施設「知念第二サイト(南城市)」全部返還
- 3月31日:米軍施設「新里通信所(南城市)」「久志訓練場(名護市)」「屋嘉訓練場(金武町)」「牧港調達事務所(浦添市)」全部返還
- 4月30日:米軍施設「西原陸軍補助施設(うるま市)」「平良川通信所(うるま市)」全部返還
- 8月3日:米軍施設「石川陸軍補助施設(うるま市)」全部返還
- 9月30日:米軍施設「与座岳陸軍補助施設(糸満市、八重瀬町)」全部返還
- 10月15日:米軍施設「知念補給地区(南城市)」全部返還
- 10月31日:米軍施設「波平陸軍補助施設(読谷村)」「読谷陸軍補助施設(読谷村)」全部返還
- 12月10日:米軍施設「キャンプ・ブーン(宜野湾市)」「牧港倉庫(浦添市)」全部返還
昭和48年(1973年)
- 2月15日:米軍施設「宮古島ボルタック施設(宮古島市)」「宮古島航空通信施設(宮古島市)」全部返還
- 3月31日:米軍施設「コザ通信所(沖縄市)」全部返還
- 4月3日:米軍施設「那覇サイト(那覇市)」全部返還
- 4月6日:米軍施設「知念第一サイト(南城市)」全部返還
- 4月16日:米軍施設「与座岳サイト(糸満市、八重瀬町)」全部返還
- 5月14日:米軍施設「久米島航空通信施設(久米島町)」全部返還
- 6月30日:米軍施設「泡瀬倉庫地区(北中城村)」「牧港サービス事務所(浦添市)」全部返還
昭和47年(1972年)
- 3月15日:午後3時から東京永田町の首相官邸で沖縄返還協定(琉球諸島および大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定)の批准書交換
- 5月15日:午前零時、沖縄が本土復帰して新生「沖縄県」が誕生
土地建物等賃貸借契約の原契約を締結
- 8月14日:米軍施設「ハーバービュー・クラブ(那覇市)」全部返還
昭和46年(1971年)
- 3月6日:防衛施設庁、復帰後の米軍用地取得契約準備のため沖縄に調査団を派遣
3月28日:沖縄市町村軍用地等地主会連合会(37,350人)が、沖縄の本土復帰時の米軍用地賃貸借契約について要望書を政府に提出
10月25日:沖縄市町村軍用地等地主会連合会が、米軍に接収された土地とは別に第二次大戦中に国家総動員法により日本軍によって接収された土地の実態調査の結果を発表(土地4,499,000平方メートル、地主969人)
昭和44年(1969年)
- 7月10日:米国のウォールストリート・ジャーナル紙が「先週、沖縄の米軍基地でVX神経ガスの容器からガス漏れ事故が発生、これを吸った約25人が病院に運ばれた」と報道
昭和33年(1958年)
- 4月11日:ムーア高等弁務官、立法院本会議で「軍用地料の一括払いを中止し、土地問題は米国政府で検討中」と言明
昭和32年(1957年)
- 2月23日:布令第164号「米合衆国土地収用令」を公布
- 5月4日:米民政府「一括払い」第1号を実施(那覇軍港地域82haの収用告知書を那覇市に送付、補償費を一括払い)
昭和31年(1956年)
- 6月9日:モーア副長官、比嘉主席をはじめとする琉球側指導者と会見、軍用地問題についてのプライス勧告骨子(12項)を発表
- 7月28日:四原則貫徹県民大会(於那覇高校)
昭和28年(1953年)
- 3月30日:第1回軍用地使用料が行政府に到着
- 4月3日:米民政府布令第109号「土地収用法」を公布(賃貸借契約の交渉が難航、軍用地の強制収用を決定)
- 4月11日:沖縄本島真和志村で武装兵出動、土地を強制収用
- 6月16日:市町村土地特別委員連合会(現在の土地連)が発足
- 12月5日:沖縄本島小禄村で武装兵出動、土地を強制収用
昭和25年(1950年)
- 2月10日:GHQ「沖縄に恒久的基地建設をはじめる」と発表(3月17日工事開始・2カ年計画)
- 4月14日:米軍政府特別布告第36号「土地所有権証明」を発布、施行
昭和24年(1949年)
- 7月1日:米国、1950年度予算で沖縄の軍事施設費を計上、本格的な基地建設開始
- 10月1日:中華人民共和国成立
昭和20年(1945年)
- 3月26日:米軍、慶良間列島に上陸を開始
- 4月1日:米軍、沖縄本島に上陸
- 米海軍軍政府、ニミッツ布告を発布
- 8月15日:日本、連合国に無条件降伏(第二次世界大戦終る)
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